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山村が在りつづける
ある日、村がなくなった。リアルな対象であった本川村が幻となり、仮想のはずの「バーチャル本川村」が、残った。1年前の、不思議な体験である。 1990年代の日本は「失われた10年」と言われている。不良債権処理に手間取り、日本だけが世界から大きく取り残された、という認識である。これは、10年間無駄をした、早く追いつかないと、という危機感につながっている。 いま進んでいる企業のリストラ、官から民へ、そして市町村合併の動きも、「世界に追いつく」手段であるのだろう。 果たして、喪失の時代だったのだろうか。 実は、工夫することを世界に先駆けて学んだのではないか。経済を高度に成長させることを競い合うだけの価値観では世界がたちいかないこと、ゆっくり成長させて工夫でやり繰りしていくことこそ21世紀の世界に欠かせないということに、世界で最も早く気がついた10年だったのではないか。 今の日本の課題は、工夫が大事と「気がついた10年」と捉えなおし、これまでの過去の人たちが築いてきた知恵をはじめ、工夫を積み上げていく技術力を磨いてゆくことで、ゆっくりとした生活を確立することではないだろうか。 世界は相変わらず「高度経済成長」を理想に走っている。低成長を持続しながら、省エネの技術を徹底して磨き、環境に負荷をかけない仕組みを考え、ものを大事に長く使う生活を工夫し、それを幸せと思える社会を世界に先駆けて、大いに手本となるようにすべきだと思う。 単に郷愁としての田舎暮らしもあるだろうが、畑のまわりに実のなる木を植えるなど先人に学びながら、工夫を凝らして生活することを忘れたくないと思う。 (2005年10月1日) |
汗はかいてもお金はかけない
平家伝説の残る越裏門・寺川地区の越裏門小学校(休校中)で、地区の協力を得て「秋祭り」を行うことができた。予算は10万円以内、そう思ってスタートした。そうでなければ続かない。続けることを最優先に考えると、それしかないように思えた。お金がたくさんかかれば、誰が負担するのかが問題になる。合併で予算不足になり、取りやめになった行事も多いと聞く。 本川で行われているお祭りは観光客相手のものが多い。地元の方は接待に追われ、自分が楽しむ時間がない。片付けも待っている。昔のお祭りは、まず地元の人たちのためにあった。今回は、地元の方がゆっくり楽しんでもらいたいと思った。そうしないと、これまた来年しようというエネルギーは湧いてこないだろう。 なかなか「お祭り」のイメージと「低予算」がピッタリ合わず、準備段階でも不安があったが、お金をかけず汗をかく、を合言葉のように繰り返した。 昨年、台風で流れているだけに祈るような気持ちだったが、当日は晴天に恵まれた。なんと、いないはずのアブの歓迎ダンスに遭いながら、朝から地元の方々が慣れた手つきで大きなテントを張ってくれ、われわれが張る小さなテントもできあがった。 香川の村民の協力で実現した「さぬきうどんの早打ち、早食い、遅食い競争」、だが景品の一つさえ準備できない始末で、せっかく優勝してもその人も手を上に上げただけ。その手を持ち上げながら申し訳ない気持ちに襲われてしまった。でも、早打ち競争では当然のように若者チームが早かったが「小さくても綺麗に打った地元おばちゃんチームの勝ち」という審判の思わぬ大岡裁きに、遅食い競争では子どもの真剣な遅さに「子どもの勝ち」の判定に、今度は胸が熱くなった。 「あめごつかみ取り大会」の前に酸欠であめごがアップアップするなど、経験不足と準備不足でスタッフや参加者に迷惑をかけてしまったが、みんなのおかげで楽しいひとときを得ることができたように思う。 かつて務めた5名の先生も来てくれ「同窓会」へ発展するきざし、10組以上の親子が来てくれ3世代にわたる交流が実現していくきざしも、わずかながら感じることができた。 しばらくして、「私は敬老席?に座っていたのですが、『ひさしぶりに楽しめた』とか『毎年やらないかんねぇ』という声が聞こえていました」とのうれしい便りをもらった。 おばあちゃんたちの笑顔を見ながら、5年前が古くなる、そんなパソコンみたいな進み方をやめ、日本を少し後戻りさせる必要を感じたことだった。 (2005年9月8日) |
お金がなーい
お金がないのは困ったものである。 バーチャル本川村は頑固に会費を取ってない。いろんな人が心配して「集めたら」と言ってくれるのだが……。で、ずーっとビンボーである。ということは、集まってくる人に相当な負担がかかってしまうということでもある。 ないはずなのに、今まで大きな買い物を2度ほどした。 一度は、屋根のひさしに使ったナミ板。屋根の張り替えをした時、瓦をやめ10枚以上のナミ板を買って張った。離れの家はこれで、すごく明るくなった。 二度目は、簡易型トイレを買った。今の子どもは下が見えるとトイレができなくなるの話に驚いたが、この現実に対応しないと家族連れが来れなくなってしまう。念願であったのだが、まとまったお金がいるので購入まで1年を要してしまった。母屋のぽっちゃんトイレは満タンになっているし、これでトイレは安心になった.。 人の力で、と言ってもこればかりはというものもある。やはり、お金はゼロではできない。年末にオークションをやったり、本川の産品を販売したり、月末の集まりの参加費の一部を積み立てに当てたり、村民から出る提案のひと言に大いに助けられているわけだ。 今度は、チェーンソーなど間伐の道具を手に入れた。高知県が環境税など森林保全に力を入れている関係で、間伐ボランティア団体に機械・備品の補助をしているのを教えてもらい、昨年の間伐体験を背景に申請を出しもらうことができたのだ。 間伐を体験して、すでに3人の村民がみずからチェーンソーを買った。それだけでなく、タビや長靴、ヘルメットなどなど、面白いと思ってくれているからいいものの、負担がかかっていることに変わりはない。 集まる村民の負担をどう軽くするか、活動資金をどう集めていくか、財源の問題は、うーん、頭が痛い。あの手この手、自ら解決策をひねり出していかないといけない。 (2005年7月25日) |
だんだん荘、再開
春になり3月26日、だんだん荘の民家再生の活動を皮切りに、バーチャルの活動も再開した。 だんだん荘は、元本川村民の方の家をお借りし、母屋の喚気等をしながら、離れの家を思いのまま改築させてもらっている。「だんだん」の名前は、愛媛の方でよく使われる朝昼晩の挨拶言葉が由来だが、後で高知にも同じ挨拶を交わす地域があることを知った。もちろん、ゆっくり、みんなができることをやっていって、だんだんにできればいい、の想いが込められている。 再開の前後、村民の間で話をした。まとめると、だんだん荘への期待はこんなものと思う。 1 「村役場」であり「寄合所」である かつては、道の駅や喫茶店に集まっていた。村民がいつでも気軽に寄れるセンター的な場所があるのは、やはりハリにもなるし活動が安定する。その場に来て、新しい人に出会う。日頃の利害関係のない出会いは一つの魅力でもある。 2 田舎暮らし体験ができる 電気、プロパンガスはあるが、テレビはない、トイレはぽっちゃん、水は沢から取る生活。不便だが、感動するものもある。沢の水のきれいなこと、沢を流れる空気は何軒か下の地元の人ですら1、2度涼しく感じるという、畑ではサルやウサギまで出て別の生物の存在を感じることも面白い。ぜひ家族で、友達らで、田舎のふつうの暮らしを味わって欲しい。旅館やホテルとは違う、本川という地域の魅力に触れられるはずだ。 3 自然や環境のことを学ぶ場所 人が住まなくなって出なくなっていたものが、われわれが来て出るようになったものがある。廃棄物だ。本川だって、50年前に比べれば断然ゴミは多くなっているはず。食器の油はまず拭き取ろう、ゴミは持ち帰ろう、生活廃水を川に流すのなら土中に返せないか、この沢を利用して発電は?……ここで過ごすと、川の上流部にいる者として極力環境に負担をかけたくないという、いつもはあまり感じない思いが芽ばえてくるから不思議だ。 そんな期待に応える場所になるといいな――こんな思いが実験できる場があるというのはすばらしい。 (2005年3月28日) |
村はない? ある?
10月1日、生まれて初めて「村がなくなった日」に遭遇した。 どんなに変わったのだろう? もうあの「本川村」の看板はない、「ようこそ本川村へ」もない、きのうまであった何もかもがない……ちょっと感傷的になりながらいつものトンネルを抜けると……あった! 看板も、標識も、案内板も、全部「本川村」がある! 拍子抜けしたが安心して外を見やると、流れる空気、秋を待つ木々も川の音も変わっていなく、ある。 しばらくいて、取り替えられたのは、「いの町本川総合支所」という村役場の看板だけであることがわかった。JRの時刻表や牛丼屋のメニューとはわけが違うんだ、お金の問題もあるのだろうがその日に全てを合わせなくていいんだ、そうなのか。 ゆっくり変わっていく、住民感情としても、これでいいのかなと思った。 これから先、看板も標識も案内板もいずれ取り払われるとしても、自然も、人々の暮らしも、あるに違いない。あり続ける。「本川村」は全部ある! そうだ、この「ある!」を前提に未来を考えていっていいんだ。そう気がついて、ちょっと元気が湧いてきた。 村が残るに越したことはない。しかし村はなくなっても、かつての村の良いところ、いま 「ある 」ものを残していこうと思っている人は多いのではないか。そういう思いを集めて、全国の人たちと協力を創りだしていくことが、いま 「ある 」ものを残そうとする者の努めかもしれない。 日本はアイディアの枯渇を起こしてきていると思うが、合併がアイディアの縮小にならないことを願う。改めて「バーチャル本川村」はアイディアの村、アイディアによる村おこしを目指していきたい、と思う。 (2004年10月1日) |
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過疎地の台風災害に思う
たった1日の支援だった。道路が途中で崩落しているので、車2台に大回りしてもらって9人が合流、寺川地区に入った。地区長さんの指示をえながら、 重い物やゴミを運んだり、屋根やトイ、排水溝に詰まったものを取り除いたり、ひっくり返った小屋を起こしたりした。私にとっては人生初めての復旧作業だったが、気持ちよい汗を流すことができた。 道路、電線、水道……いわゆるライフラインは複数なく、命綱一つの状態。いったん崩壊などが起こるとすぐ地区が孤立してしまう。素早い基盤の回復が求められるのだが、主役は主に重機。なかなか現地へ人が入りにくく、復旧も自分達でやらないといけない面が強くなってしまうのかな、と感じた。 だからだろうか、住民の「自治能力」はすごいと感嘆した。電話線やTVケーブルなど、専門の会社の人が来る前に自分らでできる所はどんどん直してしまう。 被害は村から連絡があったからわかったが、なければ知らないまま。「……らしい」しか伝わってこない。報道もすべて出すわけにいかないのはわかるが、大川村をはじめあまりにも小さな村の情報が少ない。まさに情報過疎。これが高知市であれば、おそらく毎日、高知新聞を飾っていたのではないか。そして、そういう情報の多いところにボランティアも集中する。 こんなメールをもらった。 一つの教訓として、そういう情報の少なさを補うものとしてバーチャル村の存在があると思うし、今後、地元の方と協力して細かい情報を流していけないだろうか。「困っているから助けるのは当たり前」の前に、まず「どうなっているのか」ということがある。知りたい情報を共有することで、こうしたらああしたらというアイディアが期待できる。 知ることから行動が生まれる場合もある。見ることから行動が生まれる場合もある。支援活動に行くか行かないかもあるが、現地に行くだけでない幅広い支援の形が生まれてくるのではないだろうか。そんなバーチャル的支援が生まれてきたら、すごいなーと思う。 (2004年9月7日) |
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