新年おめでとうございます。
今年は、いよいよ合併の年。本川村、吾北村、伊野町は高知県で最も早く一緒になり、10月以降「いの町」となる。高知市民にとって、本川は“隣の町”になるわけだ。
合併で、町が村を取り込む形になるが、それは同時に町が「村の問題」を抱え込んだことを意味する。町の人々が村の問題を考えざるをえなくなるのだと思う。
町はかつてあった村の「主権」を感じることなく、我が町の役割分担としてその地域の活用を考えるだろうが、今も住んでいるかつての「村人」の生活や歴史・文化をどう継続するかということを、むしろ合併をきっかけに真剣に考えていかないといけなくなったととらえるべきだろう。
このことを抜きにして、町に大多数が住んでいるからと、町の人がいやされる施設をかつての村につくるとかはとんでもないことと思う。
ひとことで言えば、合併は都市と農山村の関係の問い直しである。
都市の人が農山村に行って自然を体験したりいやしの施設を利用し、生活のアカだけを落としてスッキリして帰るという行動のし方の転換のはじまりなのだと思う。
過日も本川村でこんな光景を目にした。名所の滝の前で観光バスを降り写真を撮って、また乗り込んで別の名所に行く。こんな観光のし方からも転換する必要があるのではないか。
村にアカを落とすのであれば、村のためにアセをかくべきだ。その土地の空気をいっぱい吸い、手足や五感をいっぱい働かせ、感じてほしい。そのためにはバスを降り、少し時間をかけて滞在することが欠かせない。山道や生活道を歩き、お店で、道ばたで地元の人と話し、膝を交え一緒にメシを食べる……。
“かかわる”ことで、地域や住む人、地産品に愛着が生まれ、また行こうと思う。一方、そこに住む人も一見の客とは違う刺激やアイディアをもらい、またの再会を楽しみに思う。
アセは、いやしいやされる対等な関係づくりに役立つはずだ。
暮らす人々と「かかわりづくり」をすることで共感が生まれ、そこが自分にとって意味を持つ場所になる――そんな新しい時代の幕開けを感じる。