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「夏祭り」への夢

 越裏門のメインの通りに入る手前に看板が立っている。それはどこにでもある光景で、本川村にも何か所かあるが、言われるまで気がつかなかった。
(バーチャル写真展参照)
7月末の「ミニ夏祭り」のお誘いに越裏門の地区長さんをたずねた。立ち話しながら、この看板の話になった。
「20年よりちょっと前はあっちにもこっちにも子どもがいた。それで、こんな看板を作ったけど、今は子どもの影を見ることがない。この標識も『老人飛び出し注意』に変えにゃーいかん」
 そう言われて改めて看板をよく見ると、子どもの絵もどこか時代がかっている。看板のペンキは亀の甲のようにひびが入っている。
 それでも、ほんとに老人の絵に変えるわけでもないし、飛び出す子もいないのに降ろすこともなく立てたままなのはどういうことだろう。
“にぎやかだったころを忘れない”“いつか帰ってきてほしい”――それは「地場産業がないから無理」と言いつつ、消しきれない想いを垣間見たような気がした。

 かつて林業が盛んだった頃の昭和53年、越裏門小学校で、やぐらが組まれ、盆踊りが一度だけ踊られたという。そんな話を聞いて、“もう一度再現したい”と思った。

 小さい頃、自分の住むところに神社がなく、お祭りを体験することはなかった。しかし、「祭り」は住む、集う人の心の拠り所となったり、共同体意識を育てたりする。
 いま本川村を見渡しても「あめご祭り」「氷室祭り」「源流祭り」と外から人を呼び込むための接待的な祭りが主で、自分たちが楽しむ祭りでないケースが多い。
 集う中からまた何かが生まれる、と考えるのは楽観的過ぎるだろうか。まず人のにぎわいをつくる→こんなに地区のことを想う人々がいるという意識を回復する。そのことを繰り返しながら、やがてこれからどうしたらいいかのアイディアや行動が生まれることを願わざるをえない。
                           (2004年7月13日)


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